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現在プロテニスプレイヤーとして活躍する市川誠一郎さんですが、その経歴がかなり凄いです。
11月20日に放送され「激レアさんを連れてきた」に出演しますが、異質の経歴を持っています。
そこで今回は、プロテニスプレイヤーの市川誠一郎さんの経歴・学歴・プロフィールを詳しくお伝えします。
プロテニスの市川誠一郎とは何者?
現在プロテニスプレイヤーとして活躍する市川誠一郎さんとは何者でしょうか?
見た目は、すごく明るそうな感じで面白い雰囲気があります。
市川誠一郎のWikiプロフィール
市川誠一郎さんのWikiプロフィールです。
・名前:市川 誠一郎(いちかわ せいいちろう)
・生年月日:1984年5月18日
・年齢:39歳
・出身:神奈川県横浜市
・身長:180㎝
・体重:73㎏
・血液型:B型
・最終学歴:東京大学
・出身中学・高校:開成中学・開成高校
市川誠一郎のプロテニスの世界ランキング
市川誠一郎さんは、2023年にプロテニスプレイヤーとして、世界ランキングに入りました。
世界ランキングとしては、2071位が最高位ですが、実はプロテニスプレイヤーを目指したのが25歳です。
そこから39歳で世界ランキングに入るというのが凄いですね。
なんといっても、学歴が凄いですね。
開成中学~開成高校~東京大学という超エリートコースです。
市川誠一郎のプロテニスの戦績
市川誠一郎さんが、テニスの試合に出場をしたのは2013年ごろからです。
プロテニスプレイヤーとなったのは2016年からですが、それまでの戦績も紹介します。
2013年 :ツアー成績0勝15敗
2015年 :ツアー成績4勝9敗
2017年:国内ツアー大会を戦うが、最高戦績は世田谷オープン3回戦進出
2018年:4月に日野オープンで国内ツアー大会で準優勝
2020年からはヨーロッパを中心に国際ツアー大会に参加
2020年12月ー2021年2月:トルコ
2021年2月ー5月: チュニジア
2021年5月ー6月: ギリシャ
ITFのツアー戦績:シングル 60戦1勝
日本での戦績: シングル 120戦 15勝
2023年もITFの海外ツアーに参戦が中心ですが、通信制高校、神村学園神奈川テニスアカデミー元非常勤講師もされています。
市川誠一郎がプロテニスを始めた理由とは?
現在プロテニスプレイヤーとして活躍する市川誠一郎さんですが、25歳でプロテニスプレイヤーになろうと思った理由が気になりますね。
普通は、プロテニスになる人って、小学校や中学校など、小さい時からテニスを習っていたり、有名なスクールに通っていたりしますね。
市川誠一郎さんは、中学校~大学まではむしろ勉強の方が強かったイメージですが、どんな学生時代を過ごし、プロテニスに目指したのでしょうか?
市川誠一郎の学生時代
市川誠一郎さんは小学校時代から塾には通っていたようですが、元々電車がすきで、電車に乗りたいために少し家から離れた、日能研に通いたいといって塾に通ったようです。
この日能研の全国模試の順位発表で全国順位が冊子に掲載されるので、その順位争いに目覚めて、必死に勉強したようです。
親に「ご飯を食べながら勉強するな!」「早く寝ろ!」と怒られるほど勉強し続けたところ、全国模試で6位になり、数々の名門中学に合格して、40年以上にわたり東大現役合格者数1位の開成中学に進学します。
開成中学でも学年10位以内の好成績だった市川誠一郎さんですが、中学3年で音楽に出会い、勉強を辞めてしまいます。高校は、そのまま開成高校にはいりましたが、「BUMP OF CHICKEN」や「Hi-STANDARD」とかJ-POPのバンドを聴いて、バンド活動を始めます。
高校3年の時に、バンドの社会人サークルの人に、音楽の専門学校に入ることを話したら大学に進むことを強く勧められます。音楽で生きていける自信が持ちきれなくて、説得されているうちに「じゃあ、受験するか」ということで東大の理2に合格します。
東大でもバンド活動に没頭し、勉強はほぼしていなかったようです。
大学時代の市川誠一郎さんの画像です。
今と全然違いますね。
市川誠一郎の大学卒業後
市川誠一郎さんは、東大卒業後も社会人として普通に企業に就職する気持ちは全くなかったようです。
大学卒業後は、ホステルのバイト、家庭教師、塾の講師で稼ぎながら、音楽を作ったり、海外を回って音楽を探したりを1年行っていました。大学卒業2年目に、音楽を目指すために、パリ留学を考えていました。
パリの音楽院に留学しようとしていました。その間はフリーターとしてバイトなどで働きながら、資金をためていたいようです。
パリの音楽院は、留学のOKをもらうために、自分の音楽を6曲送って許可をもらわないといけないようですが、ちゃんと市川さんは送って許可が出ました。
そこからプロテニスに転向しようと考えが変わったようです。
何があったのでしょうか?
市川誠一郎のプロテニスプレイヤーになった理由
市川誠一郎さん。
大学卒業後に音楽に没頭し、音楽のパリ留学まで決意しました。
そこからプロテニスプレイヤーになると決めるまでには、市川誠一郎さんに色々と葛藤がありました。
- 音楽を続けていくことに迷いが出てきた
- 音楽で今後生きていくことに覚悟が持てなかった
- 音楽や芸術は見たり・聞いたりする人によって好みが違い、白黒ハッキリしない
この3つの内容で迷いが生じて、白黒ハッキリするのは「競技スポーツ」である、更に「個人競技」と考えが変わりました。
市川誠一郎さんは、元々野球少年だったのですが、野球はチーム競技で、すでに年齢も24歳だったので、若手主体になることも考えられる野球ではなく、野球と同じようにボールを打つことが似ているテニスがインスピレーションとして持っていました。
これが、市川誠一郎さんの中で、ドンピシャの競技だったようです。
そこで、プロテニスプレイヤーになること決めました。
まとめ
今回はプロテニスプレイヤーの市川誠一郎さんとは何者?と題してプWikiプロフィールやテニスを始めた理由をお届けしました。
というか凄い決断と覚悟ですね。
正直、普通の人ではできないことをされていると思います。
39歳で念願の世界ランキングに入るという偉業も凄いですし、これからも注目したい人物ですね。
頑張ってほしいですね。